Thursday, June 16, 2005

日本国憲法(前文)を訳そう (第5回 まとめ)

ちょっとしたまとめである。つまり、わたしが今まで訳してきた日本国憲法前文をまとめて、少し手を加えてみたものと、広く知られているいわゆる日本語の原文を読み比べていただこうというものだ。


憲法に限らず、わたしは、言語表現において、その荘厳さや教養主義(あるいは衒学主義)も別に悪くないと思うのだが、わかりやすさもまた軽んじてはならないと考える。口に出して読んで、それを聞いてひとがわからないようなものは書き言葉であって、たとえば「ぐまい」などと言って、「愚妹」なのか「愚昧」なのか、話を聞いてみなければわからない。憲法をすべて口語体にするわけにはいかないだろうが、わかりやすくして伝える、ということについてもう少し考えてもいいように、わたしは以下の二つを読み比べて感じた。みなさんはどうお感じになるだろうか。



拙訳 日本国憲法前文
わたしたち日本人は、日本国では主権在民であることと、正式にこの憲法を定めることを、広く宣言する。その前提として、ふたつ決意した。ひとつめの決意は、わたしたちが、きちんと選ばれた国会で活動する代表を通じて行動し、わたしたちとその子孫にたいし、以下の点にかんして保障することである。まず、世界中の国々との協力によって成り立つ平和がもたらす利益について、そして、この国の中であれば、好きなところへ行ったり住んだりできる自由について保障される。ふたつめの決意は、政府の行動によって私たちに戦争の恐怖が二度と訪れないようにする、ということである。


政府については次のように定める。まず、それはわたしたちの気高く、清らかな信頼に基づくものである。また、政府がものごとを動かす力は、国民というものがあればこそ、力として成り立つ。そして、その力はわたしたちの代表によってうまく運用され、政府によってもたらされる利益は全国民が享受する。この人類すべてに共通する価値観に基づいてこの憲法は、つくられている。この憲法とうまく噛み合わない憲法、法律、条令、勅令は認めないし、あったとすれば、廃止する。


わたしたち日本人はいつでも平和を心から願い、どうやったら人と人、国と国との関係をうまく調整できるか、ということについてよく考えている。また、世界の平和を愛するひとびとがもつ正義と信念を信頼することによって、健やかで平和な生活を維持しようと努めている。さらに、平和を維持すること、専制、奴隷制、圧制や偏狭な政治を世界からなくすよう努め続けることによって、国際社会で名誉ある地位を占めたいと強く望んでいる。加えて、全世界の人々が平和に暮らし、恐怖から自由であり、また、そうありたいと望む権利を持つことはごく自然なことであると考えている。


国というものは、自国のことだけを考えていてはいけない。また、政治にかんする約束事は、世界に共通するものである。そしてこの約束事に従うのは世界のあらゆる国々の義務である。各国が独立国として、他の国々と交渉するとき、これに従うのはもちろんである。わたしたちは、日本人としての誇りにかけて、ここまで述べてきた理想と目標を実現するため、全力を尽くすことを誓う。




日本国憲法前文(日本語原文)
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。 そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。 これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。 われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。


日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。 われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。 われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。


われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。


日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

Thursday, June 09, 2005

日本国憲法(前文)を訳そう 第4回

前回は、日本人の平和に対する考え方と、平和の維持と圧制の排除の結果、国際的な評価を得たいという希望について述べてあった。今回は、前文の結部である。ここで述べられている内容を、今の合衆国大統領ジョージ・ウォーカー・ブッシュに言わせたら、いったいどんな響きがするのかを想像してみると、なかなかおそろしく、またおもしろい。蛇足だが、しろうと考えで言っても、日本国憲法前文には、おそらく法的拘束力というものはないのだろう。前文は、憲法全体に対するおおまかな定義と、憲法を公にするにあたっての所感をまとめて述べたものだからだ。法的拘束力がないからといって、その価値を貶めるものではないが、それが事実である/事実であろうことをここで確認しておきたい。


前文の結部を「今、この世界で、ブッシュに言わせたら・・・」という想像からもわかるように、日本国憲法が、敗戦後の貧しい日本で、起草され、そこで宣言されたということを忘れてはならないと思う。この前文の価値の一部が、「敗戦後の日本」という文脈に位置することもまた確かだ。当時、さまざまな現実の混乱や矛盾は、強く深くこの国に満ちていただろう。そういった状況で考え出された「西洋の民主主義のルールに則って、国の基を築き上げよう。そして、やがて世界の国々とも対等の線で話し合い、平和を護ることによって名誉を勝ち得たい」というシンプルかつ高潔な意思が、この前文には確かに感じられる。


戦後60年経ち、現実のさまざまな矛盾、問題を抱えつつも、日本という国は「西洋の民主主義のルールに則って、国の基を築き上げ」る、という点に関しては、かなり目に見える成果を上げてきたと言えるだろう。その後の部分、「世界の国々とも対等の線で話し合い、平和を護ることによって名誉を勝ち得たい」という点にかんしての評価は少し保留したい。現在、憲法改正の議論においても、そのあたりの問題にからめてさまざまなことが言われているようだが、この点にかんして意見するには、実感や勉強が足りないと思うからである。


憲法を改正する改正しないという論議の是非は脇において考えてみても、今回この憲法前文を、英語版を通して改めて読んでみる試みには一定の価値があった、と考えている。皆さんに楽しんでいただけたり、これを機会に憲法に興味を持っていただければ、たいへんうれしく思う次第である。


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We believe that no nation is responsible to itself alone, but that laws of political morality are universal; and that obedience to such laws is incumbent upon all nations who would sustain their own sovereignty and justify their sovereign relationship with other nations.
We, the Japanese people, pledge our national honor to accomplish these high ideals and purposes with all our resources.



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国というものは、自国のことだけを考えていてはいけない。また、政治にかんする約束事は、世界に共通するものである。そしてこの約束事に従うのは世界のあらゆる国々の義務である。各国が独立国として、他の国々と交渉するとき、これに従うのはもちろんである。わたしたちは、日本人としての誇りにかけて、ここまで述べてきた理想と目標を実現するため、全力を尽くすことを誓う。


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次回、これまでの訳文のまとめをお目にかけるつもりである。たいしたものではないので、期待せずにお待ちいただきたい。それでは、ごきげんよう。