Friday, December 16, 2005

サマセット・モーム『幸福な男』試訳

 誰かの人生にあれこれ口出しするなんてばかげたことだ。他人にいろいろと指図する機会を窺っている政治家のような連中の自信を私は不思議に思うことが良くある。
 わたしはひとに何か助言するのが得意でない。自分の事さえ知らないのに、どうこうしてみろと言える訳がない。私は自分についてさえ、ほとんど分からない。他人については推測できるだけだ。わたしたちはみな監獄に閉じ込められた囚人のようなものだ。人類を構成する他の囚人達と言葉を用いて話をしようとするのが人間というものだ。そしてその言葉はひとそれぞれによって全く違う意味をもっているのだ。ひとは生きていく。しかし、人生は一度きりで、しばしば取り返しのつかない過ちを犯すことがある。「このように生きるべきだ」と他人にいえる私とはいったい何者なのか。


 人生はなかなかやっかいな代物だ。そしてそれを自分の思い通りにするには難しいということをわたしは知った。人生においていかに振舞うべきかということを周囲の人々に教え諭すつもりはなかった。しかし、人生の入り口でもがき苦しみ、その道のりが混乱と苦しみに満ちているひとびとがいるので、場合によっては、彼らの人生のごく一部について心ならずとも指摘せざるを得ないことがあった。こんなわたしに「この人生をどうやって生きるべきか」と尋ねるひともいる。そう問われると、わたしは己の運命の不確かさに一瞬とらわれてしまうのだった。


 かつてうまくひとにアドヴァイスできたことがある。わたしは若く、ロンドンはヴィクトリア駅近くの、こじんまりとしたアパートメントに住んでいた。ある日の夜遅く、今日はこれで終わりにしようかと思い始めたとき、ドアのベルが鳴った。ドアの向こうには全く見知らぬ男が立っていた。彼はわたしの名前を尋ねたので、それに答えた。彼は「お邪魔しても差し支えないか」と尋ねた。「もちろん」。わたしはそう答えて彼を、居間に案内して、座るように言った。
 彼は少し落ち着きがないように見えた。煙草をどうかとすすめると、帽子を手にしたままで、煙草に火を点けるのにすこし手間取った。彼がそのささやかな偉業を成し遂げたので、わたしは帽子を椅子に置くよう進めた。すると、せわしない調子で帽子を置いたので、そのために傘を倒してしまった。


 「こんなふうにお目にかかったことで、お気を悪くされていないと良いのですが。スティーブンスと申します。医者をやっております。あなたもお医者様でしたね」
 「ええ、開業しておりませんがね」
「はい、存じております。あなたのスペインについての著作を拝読したばかりなのです。その本について少し質問が」
「あれは大した出来ではなかったと思いますよ」
「あなたはスペインについてご存知ですね。私にはそういう知り合いが他にいないのですよ。そして、スペインについてお尋ねすることであなたのお気に障ることはないように思うのですが」
「もちろん喜んでお答えしますよ」


 彼は少しの間、口を閉ざした。そして帽子に手を伸ばし、ぼんやりとした表情で片手に取り、もう片方の手でそれをいじっていた。その行為が彼に落ち着きを与えるのだ。
「こんな風に赤の他人と話をするのを、妙なことだとお感じにはなっていらっしゃらないと思いますが…」。彼は決まり悪そうに微笑んだ。「私の人生についてお話するつもりはないのです」。このようにひとが口にするとき、「話すつもりはない」ということを話そうとしているのが常である。わたしは別に嫌ではなかった。むしろそれを歓迎する気分だった。


 「私はふたりの叔母に育てられました。特にどこかへ行ったことも何か特別なことをしたわけでもありません。結婚して6年が経ちます。子供は居りません。キャンバウェル診療所で医者として働いておりますが、ただもうそれを続ける気はないのです」。
 彼の鋭く短い言葉には何かしら私の心を打つものがあった。説得力のある響きを湛えていた。私は彼をなんとなくちらちらと見ているだけだったが、ここに来て、彼に強い興味を持った。小柄で、濃い色のスーツで、恰幅が良く、おそらく年のころ三十。赤ら顔に、落ち着きと活力を持ち合わせたまなざしが印象的であった。髪型は生硬な風合いに刈り込んであり、ずいぶんと着古した青色のスーツが似合っていた。ズボンは足元でだぼついており、ポケットは何かが詰め込まれているようにだらしなく膨らんでいた。


「医者が仕事においてこなさねばならないいろいろをご存知のことと思います。毎日が大忙しです。そんなわけで、わたしは余生を待ち望むようになったのです。これは考えるに値する問題でしょうか」
「医者であることは生計を立てる為の手段のひとつに過ぎませんよ」
「そうですね。給料に不満はありません」
「あなたがなぜここにいらっしゃったのか教えて頂けませんか」
「はい…私はスペインでイギリス人の医師が必要されているかどうかということが知りたいのです」
「どうしてスペインなのですか?」
「うまく言えませんが、スペインが好きなのです」
「『カルメン』の芝居のようには行きませんよ」
「しかし、そこには明るい日差しがあり、うまいワインがあり、すばらしい空気がありますね。ちょっと聞いてください。私は偶然セヴィリアにはイギリスの医師がいないということを耳にしたのです。私はそこで暮らしていくことができるでしょうか?不安定な未来のために、今ある安定をあきらめることはばかげているでしょうか?」
「奥様はあなたに賛成されているのですか?」
「ええ」
「それは大きな賭けですね」
「わかっています。しかし、あなたのご判断にお任せしようと思っているのです。あなたが「行け」と、仰るならそうするし、「行くな」と仰ったらこの地に留まります」


 彼はそのきらきらした瞳で一心にわたしを見つめたので、その意味するところが、わかった。わたしはしばし考えた後、答えた。「あなたの人生は不安に満ちています。つまり事の是非はご自身でお決めになる必要があるということです。金などいらない、精神的な満足のために生きてければよいというのなら、スペインに行かれるべきですね。なぜなら、そこですばらしい人生が送れるからです」。
 男はそれを聞いてわたしの元を去った。2,3日彼のことを考えたりもしたが、やがてこの一風変わった体験もすっかり忘れてしまった。


 長い時が、少なくとも15年が経ち、わたしは偶然セヴィリアに滞在していた。すこし気分が悪かったので、病院の場所を宿のポーターに訊いて、住所を教えてもらった。タクシーで移動し、目的の建物に近づいたとき、小柄で太った男が、玄関から現れた。彼はわたしを見て、恥ずかしそうにした。「何かご用ですか?わたしは、イギリス人の医者です」。用件を説明すると、彼はわたしを建物に招き入れた。男はパティオと呼ばれる庭のある、ごく普通のスペイン風の家に暮らしていた。診察室は新聞、書籍、医療器具や木屑で散らかっていた。きれい好きのわたしはそれに驚いた。
 診察の後、代金を支払おうとすると、医師は顔を横に振り、微笑んで言った。
 「お代は結構です」
 「いったいなぜですか?」
 「お忘れですか?私がここにいるのはあなたが、あのように仰ったからなのですよ。あなたは私の人生をそっくり違うものにしてしまわれました」
 彼の話を聞いて思いつくことは何もなかった。しかし、わたしたちが何について話したか、ということについて、彼は繰り返し口にした。やがてわたしは闇の中を照らす一筋の明かりによって、あの晩のことを思い出した。
 「再びお目にかかれるとは思ってもいませんでした。お礼を申し上げる機会にめぐり合えるなんて、実に驚きです」
 「うまくいっているのですか?」


 わたしは彼を見つめた。彼はいまやたいそう太っており、しかも頭はすっかり剥げていた。しかし彼の瞳は朗らかで、生命力に満ちて光っており、赤ら顔には、ユーモラスな表情が踊っていた。明らかにスペイン人が仕立てた彼の服はひどくみすぼらしく、帽子は彼らが被る、幅広のソンブレロだった。彼はわたしを、まるで上等のワインか何かであるかのように見つめた。
「ご結婚されていましたよね?」
「はい。妻はスペインが気に入らないと言って、キャンバウェルに帰ってしまいました。向こうのほうが快適なようですよ」
「これは、失礼しました」
「ひとは何かを手に入れるためには、犠牲を払わねばならないのです」と彼は呟いた。彼の口からその言葉が聞こえるのとほぼ同時に、もはや輝かしい若さは失われているけれど、今もって大胆でセクシーな肉体を持った女が玄関に姿を現した。女は男にスペイン語で話しかけた。彼女が医師の新しい妻であるに違いなかった。


 彼は玄関に立ってわたしを見送りながら言った。
 「前にお会いしたとき、あなたは金などいらない、精神的な満足のために生きてければよいというのなら、スペインに行くべきだとおっしゃいましたね。そう、わたしはあなたの仰ったことが正しかったということをお伝えしたかったのです。ずっと貧しいままですが、わたしはこれからもそれで良いと思っています。スペインでの生活を、心から楽しんでいるのですよ。わたしはこの人生をほかのどんな生活とも取り替えたいとは思いません。それがたとえ、どこかの王のものであっても」

アーヴィン・ショウ『アルジェの夜』試訳

 アルジェ市、深夜。軍の報道局では、かちゃかちゃと音を立てたタイプライターもずいぶん前に静かになっていた。報道局員は、ほとんど上の階で眠りについており、ホールには人ひとりいなかった。昼間の報道局は、気の利いた返事だとか、何かを決断する声が行き交ったり、突然起きる笑い声で活気に満ちていたが、いまや完全な静けさに満ちていた。隣の建物の中では、輪転機が滞りなく翌日の新聞を刷り上げていた。


 薄闇の中、壁には僅かばかりの衣服を身に着けた巨乳美女たちのグラビアが貼り付けてあった。赤十字ビルの外の通りに出てみると、夜遅く宿舎へ戻ろうとする兵士達が、ヒッチハイクしようと、口笛を吹いたり、ワインを飲みながらフランス国歌を英語で歌ったりしていたが、やがてトラックが止まって、彼らを拾っていった。勇壮な節に乗った曖昧な歌詞の「ラ・マルセレーズ」が、夜の闇に響いていた。オフィスのラジオからは、ロンドンで演奏されているチャイコフスキーのピアノ協奏曲が、気難しく悲しげに流れていた。


 軍曹の階級章を襟につけた副編集長が、オフィスに入ってきて、疲れた様子でラジオの前に腰を下ろした。彼はラジオを見つめ、仕事と関係の無いさまざまな物事や、彼の居た大学のキャンパスが、6月の今どんな様子であったか、雨の中ニューヨーク港から、アフリカへ出発するときどんな気分がしただろうかと思い出していた。「ワインはどうですか」と座ってラジオを聞いていた記者が言った。記者は一兵卒だった。副編集長はワインを飲むでもなく、ボトルを抱えて、ただただ座っていた。「ニューヨークにバーがあった」。副編集長は呟いた。「ラルフズ。45丁目。小汚いバーだった。あそこで飲むのが好きなんだ。行ったことあるかい?」「ええ、まあ」と記者。「スコッチウィスキー、そして、冷たいビール」。


 チャイコフスキーの協奏曲は号泣するような調子で終わり、ラジオは丁寧な英語で、トスカニーニの指揮、ホロヴィッツのピアノによる演奏であったと告げた。トスカニーニとホロヴィッツというふたつの名前は、海沿いのアフリカの夜には場違いに響いた。番組の終わりが告げられると、記者はベルリン放送にダイアルを合わせた。丁寧なドイツ語が、ワルツについて解説すると、ヴァイオリンとトランペットが、ラジオから音楽を奏で出した。副編集長は言った。「ドイツの連中には、この先50年音楽を禁止すべきだ。平和条約の中に、禁止条項を入れるべきだ」。リライト担当の伍長が眠りにつく前に、オフィスに顔を出した。「ガムドロップが欲しい奴はいるかい?」。箱を取り出して「今日は、俺の配給分だけもらったんだ」という伍長に、副編集長と記者は手を出して、ワルツを聞きながら、ガムドロップの味をよくかみ締めた。「よい音楽だな」と伍長。「50年は禁止すべきだな」と、副編集長。伍長は、あくびをして、ストレッチをした。「明日目が覚めたら、戦争は終わっているだろう、たぶんな。おやすみ」。伍長は部屋を出て行き、副編集長はガムドロップをワインで流し込んだ。


 「軍に入る前に、ガムドロップなんて食った事あったか?」「いいや」と記者。「俺も無かった」。そう言いながら、副編集長は、ボトルの中のワインをくるくると回した。「ああ、ここはうんざりだ。前線へ行きたいね」。ラジオから流れる音楽は、ハンガリー舞曲に変わり、副編集長は、憂鬱な様子でじっと聴き入った。彼はワインを少し飲んだ。「しかし…何も起こらないのも困ったもんだぜ」。侵攻作戦が始まり、イタリアにいる連中がそれを取材し、記事にしている。みな、素晴らしい記事を書くのだろうが、俺はここ、アフリカに尻を据えている。俺は編集者か。副編集長なのか…。


 「大学を辞めたとき、俺は今より良い物が書けた。8年前の事だ」。彼は考え考え、髪の剥げたところをこすった。「ともかく、わたしは編集者になった。8年だ」。彼はワインを飲み干した。「たぶん結婚しておくべきだったんだろうな」。既婚者の記者は、「しようとしまいと、ほとんど違いはありゃしませんよ」と応えた。「そんなことはないさ」と副編集長は肩をすくめた。


 「わたしが大学2年生のとき、好きな女の子が大学にいた。わたしより1歳年上だった。翌春4月のダンスパーティーのために、10月にはデートの約束をきっちりとりつけなければならなかった。彼女には、車でしじゅう食事に連れて行ったり、毎日花を送るような男がいたが、俺とよく散歩したり、時々昼飯を食べに行ってくれた。彼女は俺に他の誰もがしてくれなかった、とてもすてきなことをしてくれた。今の俺にとっては大した事じゃないが、俺はまだガキだったので、彼女のしてくれた事は、今でも心に残っている。彼女は他の男とのデートの約束を反故にして、俺とダンスパーティーに行ってくれた。その日俺は彼女に蘭の花をプレゼントした。俺達はもぐり酒場で恋人同士になった。俺の人生で最高の夜だった」。「その夏、俺は彼女を友人のひとりに紹介した。彼は金持ちで、1週間に3度も彼女に長距離電話をかけた。半年後、ふたりは結婚した。女の子としたら、無理も無かったんだろうな。彼女の写真を見るかい?」「見せてくれよ」と記者は答えた。
 副編集長は、黄ばんで、角の欠けた写真を取り出した。白いドレスに身を包んだ、品があって、かわいらしい女性が、意志の強さをうかがわせる、古めかしい色気を醸して写っていた。「なぜ、俺が今でもこれを持っているのか分からない」と彼は、写真を眺めながら口にした。「たぶん運を逃さないためだな」。副編集長は、大事そうに写真を財布にしまった。彼は分厚いメガネをかけて、椅子に背をもたれていた。薄闇の中に、角張って、生真面目そうで、そして、どこかしら気品の漂う彼の顔があった。恋人をはじめ、大切なものが皆、一番親しい人間に奪われていくような不幸を予感させる表情が、その顔には、はっきりと、そして、痛々しいほどに浮かんでいた。


 「もうひとり女の子が居た。デンマーク人だった」と副編集長は切り出した。「グリニッジ・ヴィレッジで出会ったのさ。彼女は、女優を目指してボストンから友人とニューヨークへ出てきていた。フィルマート映画館の案内嬢をしていたんだ。俺は『大いなる幻影』の最後の部分を12回は見たはずだ」。
彼は微笑んだ。「映画が終わる頃、俺は映画館をうろついて、彼女をサニーサイドへ連れ出した。彼女はそこに友人と住んでいたんだ。彼女は俺の事が嫌いじゃなかったが、俺が彼女の家のリビングにある長いすで、週に5日寝ていても、俺と何をするというわけでもなかった。俺達はけんかになって、彼女は女優になるのを諦め、ボストンへ帰っちまった。彼女とあれだけ大げんかしなければ、俺はきっと彼女と結婚していたろうと思うよ」。彼はメガネをはずして、けだるそうにそれを見つめた。
 「半年後、彼女はニューヨークへ私を尋ねにやってきた。彼女はすっかり様変わりしていて、俺のところにすぐに引っ越してきた。すばらしい日々だった。週末は田舎へ出かけた。夏中ドライブして、あっちこっちで酒を飲んだり、泳ぎに行ったり、笑いあった。   彼女はプロビンスタウンで俺と落ち合う事もあった。そして俺達は、彼女の家族と一緒に過ごした。素晴らしいパーティーがあった。ケープコッドの避暑地…」「とりわけよい日々だったとは思わないが、よく覚えているんだ。たぶん、彼女と結婚すべきだったのさ。たぶんな」。副編集長は伸びをして、ワインボトルを床に下ろした。下の道路を、3人のフランス人が大声で歌いながら通り過ぎた。


 「わたしは今30歳だ。そして今だかつてなくひどい文章ばかり書いている。この戦争が終わった後、何をすればよいのかさっぱり分からないのだ。以前、工兵隊にいたことがある。その時、彼女に手紙を書いた。返事には、彼女は結婚し、5月17日に子供が生まれる、とあった。その子供の為に祈ってくれと。返事の返事は書かなかった。そんなことしたって今の俺には何の意味もないさ」。彼はもう一度メガネをかけると、自分で答えた。「フィルマート映画館…」。彼は笑って立ち上がった。「ここに三文文士が二人いたら良いのに。そうすりゃ、この二つの物語がちゃんとさまになるのにな」「疲れちゃいない。だが、夜も遅い。寝る事にしよう。明日もまだ戦争は続くんだ」。 


 ラジオからは、アメリカのジャズが流れていた。かつて世界中のあらゆるダンスホールやナイトクラブで、アメリカ人の通った春のダンスパーティーで、白いドレスを見につけた女の子達が踊った、ありふれた音楽をつき砕くような、耳慣れた太い音のトランペットが響いていた。厚いメガネの奥でまばたきをしながら、副編集長は音楽に耳を澄ませた。流れていた曲が終わると、彼は、自分の部屋へゆっくりと歩き始めた。そのシャツは、汗で汚れて、しわがよっていた。副編集長が、自分のデスクを眺め、そして眠りにつく前には、明日の仕事のために、机の上のあらゆるものがきっちりと整えられていた。