アルジェ市、深夜。軍の報道局では、かちゃかちゃと音を立てたタイプライターもずいぶん前に静かになっていた。報道局員は、ほとんど上の階で眠りについており、ホールには人ひとりいなかった。昼間の報道局は、気の利いた返事だとか、何かを決断する声が行き交ったり、突然起きる笑い声で活気に満ちていたが、いまや完全な静けさに満ちていた。隣の建物の中では、輪転機が滞りなく翌日の新聞を刷り上げていた。
薄闇の中、壁には僅かばかりの衣服を身に着けた巨乳美女たちのグラビアが貼り付けてあった。赤十字ビルの外の通りに出てみると、夜遅く宿舎へ戻ろうとする兵士達が、ヒッチハイクしようと、口笛を吹いたり、ワインを飲みながらフランス国歌を英語で歌ったりしていたが、やがてトラックが止まって、彼らを拾っていった。勇壮な節に乗った曖昧な歌詞の「ラ・マルセレーズ」が、夜の闇に響いていた。オフィスのラジオからは、ロンドンで演奏されているチャイコフスキーのピアノ協奏曲が、気難しく悲しげに流れていた。
軍曹の階級章を襟につけた副編集長が、オフィスに入ってきて、疲れた様子でラジオの前に腰を下ろした。彼はラジオを見つめ、仕事と関係の無いさまざまな物事や、彼の居た大学のキャンパスが、6月の今どんな様子であったか、雨の中ニューヨーク港から、アフリカへ出発するときどんな気分がしただろうかと思い出していた。「ワインはどうですか」と座ってラジオを聞いていた記者が言った。記者は一兵卒だった。副編集長はワインを飲むでもなく、ボトルを抱えて、ただただ座っていた。「ニューヨークにバーがあった」。副編集長は呟いた。「ラルフズ。45丁目。小汚いバーだった。あそこで飲むのが好きなんだ。行ったことあるかい?」「ええ、まあ」と記者。「スコッチウィスキー、そして、冷たいビール」。
チャイコフスキーの協奏曲は号泣するような調子で終わり、ラジオは丁寧な英語で、トスカニーニの指揮、ホロヴィッツのピアノによる演奏であったと告げた。トスカニーニとホロヴィッツというふたつの名前は、海沿いのアフリカの夜には場違いに響いた。番組の終わりが告げられると、記者はベルリン放送にダイアルを合わせた。丁寧なドイツ語が、ワルツについて解説すると、ヴァイオリンとトランペットが、ラジオから音楽を奏で出した。副編集長は言った。「ドイツの連中には、この先50年音楽を禁止すべきだ。平和条約の中に、禁止条項を入れるべきだ」。リライト担当の伍長が眠りにつく前に、オフィスに顔を出した。「ガムドロップが欲しい奴はいるかい?」。箱を取り出して「今日は、俺の配給分だけもらったんだ」という伍長に、副編集長と記者は手を出して、ワルツを聞きながら、ガムドロップの味をよくかみ締めた。「よい音楽だな」と伍長。「50年は禁止すべきだな」と、副編集長。伍長は、あくびをして、ストレッチをした。「明日目が覚めたら、戦争は終わっているだろう、たぶんな。おやすみ」。伍長は部屋を出て行き、副編集長はガムドロップをワインで流し込んだ。
「軍に入る前に、ガムドロップなんて食った事あったか?」「いいや」と記者。「俺も無かった」。そう言いながら、副編集長は、ボトルの中のワインをくるくると回した。「ああ、ここはうんざりだ。前線へ行きたいね」。ラジオから流れる音楽は、ハンガリー舞曲に変わり、副編集長は、憂鬱な様子でじっと聴き入った。彼はワインを少し飲んだ。「しかし…何も起こらないのも困ったもんだぜ」。侵攻作戦が始まり、イタリアにいる連中がそれを取材し、記事にしている。みな、素晴らしい記事を書くのだろうが、俺はここ、アフリカに尻を据えている。俺は編集者か。副編集長なのか…。
「大学を辞めたとき、俺は今より良い物が書けた。8年前の事だ」。彼は考え考え、髪の剥げたところをこすった。「ともかく、わたしは編集者になった。8年だ」。彼はワインを飲み干した。「たぶん結婚しておくべきだったんだろうな」。既婚者の記者は、「しようとしまいと、ほとんど違いはありゃしませんよ」と応えた。「そんなことはないさ」と副編集長は肩をすくめた。
「わたしが大学2年生のとき、好きな女の子が大学にいた。わたしより1歳年上だった。翌春4月のダンスパーティーのために、10月にはデートの約束をきっちりとりつけなければならなかった。彼女には、車でしじゅう食事に連れて行ったり、毎日花を送るような男がいたが、俺とよく散歩したり、時々昼飯を食べに行ってくれた。彼女は俺に他の誰もがしてくれなかった、とてもすてきなことをしてくれた。今の俺にとっては大した事じゃないが、俺はまだガキだったので、彼女のしてくれた事は、今でも心に残っている。彼女は他の男とのデートの約束を反故にして、俺とダンスパーティーに行ってくれた。その日俺は彼女に蘭の花をプレゼントした。俺達はもぐり酒場で恋人同士になった。俺の人生で最高の夜だった」。「その夏、俺は彼女を友人のひとりに紹介した。彼は金持ちで、1週間に3度も彼女に長距離電話をかけた。半年後、ふたりは結婚した。女の子としたら、無理も無かったんだろうな。彼女の写真を見るかい?」「見せてくれよ」と記者は答えた。
副編集長は、黄ばんで、角の欠けた写真を取り出した。白いドレスに身を包んだ、品があって、かわいらしい女性が、意志の強さをうかがわせる、古めかしい色気を醸して写っていた。「なぜ、俺が今でもこれを持っているのか分からない」と彼は、写真を眺めながら口にした。「たぶん運を逃さないためだな」。副編集長は、大事そうに写真を財布にしまった。彼は分厚いメガネをかけて、椅子に背をもたれていた。薄闇の中に、角張って、生真面目そうで、そして、どこかしら気品の漂う彼の顔があった。恋人をはじめ、大切なものが皆、一番親しい人間に奪われていくような不幸を予感させる表情が、その顔には、はっきりと、そして、痛々しいほどに浮かんでいた。
「もうひとり女の子が居た。デンマーク人だった」と副編集長は切り出した。「グリニッジ・ヴィレッジで出会ったのさ。彼女は、女優を目指してボストンから友人とニューヨークへ出てきていた。フィルマート映画館の案内嬢をしていたんだ。俺は『大いなる幻影』の最後の部分を12回は見たはずだ」。
彼は微笑んだ。「映画が終わる頃、俺は映画館をうろついて、彼女をサニーサイドへ連れ出した。彼女はそこに友人と住んでいたんだ。彼女は俺の事が嫌いじゃなかったが、俺が彼女の家のリビングにある長いすで、週に5日寝ていても、俺と何をするというわけでもなかった。俺達はけんかになって、彼女は女優になるのを諦め、ボストンへ帰っちまった。彼女とあれだけ大げんかしなければ、俺はきっと彼女と結婚していたろうと思うよ」。彼はメガネをはずして、けだるそうにそれを見つめた。
「半年後、彼女はニューヨークへ私を尋ねにやってきた。彼女はすっかり様変わりしていて、俺のところにすぐに引っ越してきた。すばらしい日々だった。週末は田舎へ出かけた。夏中ドライブして、あっちこっちで酒を飲んだり、泳ぎに行ったり、笑いあった。 彼女はプロビンスタウンで俺と落ち合う事もあった。そして俺達は、彼女の家族と一緒に過ごした。素晴らしいパーティーがあった。ケープコッドの避暑地…」「とりわけよい日々だったとは思わないが、よく覚えているんだ。たぶん、彼女と結婚すべきだったのさ。たぶんな」。副編集長は伸びをして、ワインボトルを床に下ろした。下の道路を、3人のフランス人が大声で歌いながら通り過ぎた。
「わたしは今30歳だ。そして今だかつてなくひどい文章ばかり書いている。この戦争が終わった後、何をすればよいのかさっぱり分からないのだ。以前、工兵隊にいたことがある。その時、彼女に手紙を書いた。返事には、彼女は結婚し、5月17日に子供が生まれる、とあった。その子供の為に祈ってくれと。返事の返事は書かなかった。そんなことしたって今の俺には何の意味もないさ」。彼はもう一度メガネをかけると、自分で答えた。「フィルマート映画館…」。彼は笑って立ち上がった。「ここに三文文士が二人いたら良いのに。そうすりゃ、この二つの物語がちゃんとさまになるのにな」「疲れちゃいない。だが、夜も遅い。寝る事にしよう。明日もまだ戦争は続くんだ」。
ラジオからは、アメリカのジャズが流れていた。かつて世界中のあらゆるダンスホールやナイトクラブで、アメリカ人の通った春のダンスパーティーで、白いドレスを見につけた女の子達が踊った、ありふれた音楽をつき砕くような、耳慣れた太い音のトランペットが響いていた。厚いメガネの奥でまばたきをしながら、副編集長は音楽に耳を澄ませた。流れていた曲が終わると、彼は、自分の部屋へゆっくりと歩き始めた。そのシャツは、汗で汚れて、しわがよっていた。副編集長が、自分のデスクを眺め、そして眠りにつく前には、明日の仕事のために、机の上のあらゆるものがきっちりと整えられていた。
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